東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode97】6歳10ヶ月 初めての男性の先生

 
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2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
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今回は息子が通ったプリスクール、インターナショナルスクールの担任の先生についてもコメントしてみようと思います。あくまでも私の主観です。

【2歳から通ったプリスクール(息子のクラスの生徒数20人)】

先生は6人(全員女性。アメリカ出身・1人、フィリピン出身・2人、日本人・3人)

息子には、日本人で帰国子女の先生がついてくれました。毎日のコミュニケーションノート(先生と親の連絡帳)も、その先生が書いていました。今思えば、日本人だから日本語で書いて欲しかったな・・・。その当時、それに気付いて提案できなかった私が愚かなんだけど(多分、提案しても却下だろう)・・・。アメリカ出身の先生がHeadで、この先生を中心に他の先生が上手く動いてクラス運営をしていた印象。息子は、とにかくフィリピン出身の先生に懐いてて(だって、すっごく優しいから)、特に困った時や、お友達とトラブルになった時は、その先生のところにすっ飛んで行って解決を図っていました。だから、この時期に息子が覚えた英語は、フィリピン出身の先生が発した言葉が多かった

【3歳から通った東京のインターナショナルスクール(息子のクラスの生徒数20人弱)】

先生は2人(どちらも女性。オーストラリア出身と日本人の先生)。子供同士は、言葉を使わなくてもまだコミュニケーションが成立する(我が家ではテレパシーと呼んでます)時期なので、主に先生とのやり取りから英語を習得していたプリスクール時代から、子供同士でも言葉を使ってコミュニケーションをとるようになっていったこの時期に、上手く声かけをしていただいたと思います。息子はこの時期は「インターではboth」(インターでは英語と日本語の両方でコミュニケーションいう意味)と折に触れて言っていました。せっかくインターに通わせたのだから、親としては「インターでは英語」を徹底して欲しかったのだけど、エレメンタリーにあがると、日本語でサポートができる日本人の先生はいなくなって、English onlyが徹底されるので、今となっては、この時期のコミュニケーションが英語と日本語の両方になったとしても、子供達が学校で楽しく過ごすことを第一に考えたクラス運営だったのかな?と思っています。クラスで飼育している金魚への餌やり係、テーブルを拭く係などの当番、みんなで考えて自分の意見を言うサークルタイムなどを通して、時に楽しく、時に厳しく、社会性の育成や学習の土台作りをしていただいたと思います。

MusicやArt、PE(体育・スイミング)は、専門の先生による授業でした。

【Pre-K(4歳〜 ここからは九州のインターナショナルスクール)】

3歳と4歳の合同クラスで、生徒数は約30人。先生は4人(全員女性。アメリカ出身・2人、日本人・2人)

アメリカ出身の先生のひとりと日本人先生のひとりは、このインターの上の学年にお子さんを通わせていた先輩ママさん。もうひとりのアメリカ出身の先生は、大学を卒業して直ぐ日本に来た方で、子供達と一緒にいつも走り回っていて、むっちゃ人懐っこい先生。私に英語で気さくに話しかけてくれたお陰で、随分鍛えられました。残る日本人の先生は、長年このインターのこの学年で、子供達のサポートをしていた先生で、無謀にもクラスマザーとなった私までかなりお世話になりました。

アメリカ出身のママ先生とフットワーク良い若い先生のクラスだけに、一日中キャッキャッ、ワチャワチャしているクラスでした。

ちなみに、Pre-Kからエレメンタリーの担任の先生は、何年もその学年の担任をされていた先生だったので、授業進行や生徒・保護者への対応が大変スムーズでした。何故だか息子の学年が終了するタイミングで、インターを辞める担任の先生が多く、息子のひとつ下の学年は「初めまして」の先生で何かと大変そうだったなぁ。そもそも、何で息子の学年を最後にインターを辞めることにしたんだろう?息子達が、さんざんご迷惑をかけたのかな?

【Kindergarten】

息子のクラスの生徒数は約15人。先生は2人(どちらも女性。カナダ出身と日本人の先生)

どちらも厳しいけど、細かいところに気がつく先生。息子の同級生は、みんな「怖い先生(でも好きよ)」と評するなか、息子だけは「優しい先生」と評してました。息子にとって一番怖かったのは、私だったみたい。この学年の先生が厳しかったのは、エレメンタリー進級の準備と見極めをしっかりするためだと思う。英語の習得が遅れている生徒には、付きっきりでサポートしていました。生徒とFace to faceとなり、「Repeat after me」と言いながら、先生口の動かし方を生徒に見せたり・・・、“こんなことまでするんだ!”っと感心することが多かった。厳しい先生だけど、生徒はみんな懐いてました。どちらの先生も、息子が進級するタイミングで、インターを辞めましたが、カナダ出身の先生は、他国の学校で働いたのち、また息子が通うインターに先生として戻ってきました。その知らせを聞いた息子達は大喜びしていたのも印象的でした。

【Grade1】

息子のクラスの生徒数は17人。アメリカ出身の女性の先生。

インター近くの渡船場から船に乗って15分ほどの島に住んでいた高齢の先生でした。それまで、私と同世代か若い先生だったので、“まだ統制の効かない子供達が集まるGrade1の先生なんて大丈夫?”と正直ちょっと不安になったけれど、そこは“亀の甲より年の功”、彼女の豊富な経験のおかげで、子供達はPre-K、Kindergartenの時についていたサポートの先生がいなくてもEnglish onlyの授業についていけたし、勉強と遊びのメリハリがつくようになって、すっかり「お子ちゃま」から「小学生」に変身。“小1の壁”を感じることは、全くなかったなぁ。kindergartenの先生はエレメンタリー進級に向けて、生徒を細かく指導していたのに対し、Grade1の先生をはじめとした、エレメンタリーの先生は、それまでに培った生徒の自主性を重んじながら、要所要所できっちり諭したり、説明したりして、見守る姿勢で生徒の成長を促していた印象。

【Grade2】

息子のクラスの生徒数は14人。アメリカ出身の女性の先生。

ご主人も息子が通ったインターの先生をしていました。5人の子供達は、全員性別も国籍も違う養子というステップファミリー。息子が通ったインターはステップマザー、ステップファザー、養子を育てている家庭もボチボチいたけど、誰ひとり内緒にせず、みんなが知っている状態。海外では普通のことなのかもしれないけれど、コレは息子より私の方がインパクト大でした。息子は物心ついた頃から、周りにいるので、ごく自然のこととして受け入れてました。日本では「継母」とか「養子」という単語を口にするのに躊躇いを感じるけど、インターの生徒達は「 stepmother」とか「adopted child」という言葉を小さいうちから普通に使っていたし、「僕のお母さんはステップマザーだよ」と教えてくれた。もうね「step」がついても「adopted」がついても気にならないんだよね。血が繋がってない親でも、兄弟でも、一緒に生活して信頼関係が築けると「血」よりも濃い「情」が生まれるってことかな。素敵なファミリーでした。

【Grade3】

息子のクラスの生徒数15人。カナダ出身の女性の先生。

息子のひとつ上の学年とJunior high schoolに通うお子さんを持つママさん先生。座って勉強も大事だけど、経験や体験も大事だと考えていて、とにかく校外学習の機会をたくさん作っていただきました。餅つき、稲刈り、インターでのお泊まり会等など、盛りだくさんの1年でした。1ターム(1学期)かけて読み込んだ本の映画を観に行ったり、アメリカインディアンのことを学習した延長で、グループワークで劇を作ったり、楽しみながら学習に繋げるのがとても上手い先生で、学習が本格的になるGrade4以降の土台作りをしっかりしていただいた印象です。

【Grade4】

息子のクラスの生徒数11人。カナダ出身の男性の先生。

Grade4とGrade5の先生は、いっつも2人でつるんでヤンチャなことをやってて、保護者の評価が分かれる先生だけど、生徒達には総じて人気。Grade3の先生は「いい?来年はいよいよ○○先生だから、自分たちでしっかりやるのよ!」とことあるごとに生徒に言い聞かせていたから、私も覚悟はしていたけど、想像をはるかに超えていた。授業中にニンジンを生でポリポリ食べながら話すものだから、先生の目の前の席に座る生徒に先生の口から飛び出たニンジンが降り注ぐし、生徒達にも「お腹が空いてたら授業に集中できないから、食べていいぞ」って言ってたんだけど、誰もそんなことしないよね。プライベートのお花見の時に、酔っぱらって転び、2回も骨折するし、学校行事のチャリティーウォークで、生徒達が一周する毎に手の甲に押していたスタンプをGrade5の先生と投げ合って遊んでいたら池にポチャン。まるで高校生のまま先生になったような感じ。息子は大好きでした。私も夫も、「大人の男性のいい加減な部分」を知っておくのも大事、というスタンスで許容していたというか、「面白い先生だな」と好意的にみていました。

【Grade5】

息子のクラスの生徒数16人。オーストリア出身の男性の先生。

今回の4コマ漫画に出てくる、この年のサマースクールの先生。エレメンタリーのヘッドなので、時には生徒達に厳しいこと言う(周りの先生に言わされていたかも)けど、本人はヤンチャをしてばかりなので、私からすると「お前が言う?」って感じなんだけど、不思議と生徒達は言うこと聞くし、Grade4の先生同様みんなに好かれていたんだよね。息子のひとつ下の学年に通う男の子とHigh schoolに通う女の子のパパさん先生で、シングルファーザー。ライフセーバーの資格も持っていて、完全なるアウトドア派、というより野獣に近い。

Grade4の先生もGrade5の先生もチャランポランだったけど、授業はしっかりやってましたよ。

【Grade6(Middle school )】

息子のクラスの生徒数14人。アメリカ出身の男性の先生。数学担当の先生でもありました。息子がGrade6に進級する時に赴任してきたのだけど、正直に書くと、最悪!同級生のママが、「勉強のことで相談したら“お宅の子供が馬鹿だから、余計な時間を割かないといけないじゃないか”と鼻を穿りながら言ったのよ」と激オコで電話してきた。人の気持ちを逆撫でするような言い方をするので、私を含め戸惑う保護者が多かったけれど、今にして思えば、“もうMiddle schoolなんだし、いつまでもエレメンタリーの時のようにフワフワお遊び気分で学校に来るんじゃない!学校は勉強するところだ。友達といざこざを起こしたり、つまらないマウントの取り合いなんかくだらん!俺もそんなことの仲裁のために教師やってるんじゃないんだ。Middle schoolの数学の先生としての仕事をさせろ”と思ってたんじゃないかな?特に小さい頃はアメリカの子どもは、日本人の同年齢の子ども達と比べると幼いところがあるけれど、これくらいの年頃から急に自立していく印象を私は持っていて、まさにGrade6の先生はそれを踏まえての対応をしていたのかな?と思うんだよね。だから、最初に「最悪!」って書いたけど、撤回。生徒と親の方にMiddle schoolに進級したという自覚が足りなかったのだと思う。息子がインターを辞めずに、そのまま通っていたら、印象が変わっていたかもしれないな。

こんな感じです。

な〜んだか、書き方がマズかったような。“これじゃインターってダメじゃん”って言われそう。だから、もうひとつだけ書いておこっかな。息子は小学校6年生のタイミングで日本の小学校に転校したけど、2年生からは、毎年インターが夏休み中にも日本の小学校に通っていたの。地元の小学校には、地元を一歩も出たことがない先生も結構いるのよね。インターの先生って、自分の意思で地元を出て、中にはバックパッカーのようにいろんな国の学校で先生をしてきた人もいるので、それだけで魅力的だし、説得力があるんだよね。もちろん、観光気分で日本にやってきて、インターの先生をしている印象は否めないけど、地元を出たこともない先生が、どこかで見聞きした外国やグローバルについて語るのと、実際自分で見聞きしたことを話すのとでは、生徒の食いつきが違う。「俺が行ったアフリカのある国の学校では、銃を持った人が校門で警備をしているんだ。」なんて話の後に、息子は「命がけで勉強してるってことよね。宿題やりたくないって思ったらいかんね」と言ってたし、別の先生はこのインターに来る前に住んでいたマレーシアの学校の生徒と手紙のやり取りを提案して、そこから交流が生まれたり。家でしっかりフォローすれば、インターの先生のいい加減なところも、あんまり気にならなかったかな。

英語が定着すると言われる9歳〜10歳を目処にインターを辞めて日本の学校に、と考えていたけれど、何より息子が楽しく通っていたし、ミドルスクールもできるだけ長く体験させてあげたくて、辞めるタイミングがどんどん後ろにズレてしまいました!

 

 

 

 

 

 

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