東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode81】5歳11ヶ月 オーストラリアの小学校へ⑦

 
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2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
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日本で留守番をしていた夫にはとっても申し訳ないんだけど、約4週間のオーストラリア滞在は本当に楽しかった。学生時代に留学したこともなければ、社会人になっても海外旅行にすら行ったことのない私は、新婚旅行で初めて海外に行ったのだけれど、英語は夫に頼りっぱなしだったので、まさか息子と二人だけでオーストラリアに行くことになるなんて想像してなかった。しかも、後半2週間はコンドミニアム生活。毎日スーパーマーケットに買い物に行き、食事まで作るなんて・・・。というか、前半2週間はホームステイだったとはいえ、よくも夫は、こんな私に大事な息子を託したものだと思う。だって、夫は超が付くほど慎重派。私は、そんな夫からみると、とんでもなく無鉄砲な類の人間だと思うんだけど。時間が経って夫に「よく私と○○(息子の名前)だけでオーストラリアに行かせたね。心配じゃなかった?」って聞いてみたことがある。すると「うん ○○(息子の名前)が一緒だから大丈夫と思った。英語は○○(息子の名前)がちゃんとできるし、考えたり判断したりしないといけない局面では、ふたりで知恵を出し合って解決できるかな、と思ってた」と想像もつかない返事をしてきた。”私に息子を託した”のではなく、”息子に私を託した”ということだったのね。でも、確かにそう。夫のように超慎重派だったら、私は自分の英語力を鑑みて、息子と二人だけで海外に行こうなんて思わないもん。これはね、英語もペラペラ、単身で海外にも行けちゃう人がすることなんだろうねな、と思うもの。

オーストラリアに着いた直後の私の行動範囲は、さすがに狭かったけれど(息子の通ったスクールとホームステイ先の往復くらい)、ペットとしてやって来たワンコが少しずつ行動範囲を広げるように、私も活動範囲を徐々に広げ、バスにも乗れるようになり、スーパーの対面販売のお肉屋さんで注文までできるようになっちゃった。実は、そのお肉屋さんのローストチキンがとっても美味しくて、息子も私も大好きだったのよね。食べ物のためなら頑張れちゃう。週末のアクティビティーもツアーを手配したのは、車でしか行けないラミントン国立公園だけ。あとは乗り物大好きな息子とバスに乗ってウロウロ。バスの路線が充実しているエリアだったので、大概の観光スポットにはバスで行けるところもGoodでした。Sea World、Dream World などは人気のテーマパークだけあって、1日では全部見て回れない程、内容が充実していたけれど、年齢制限に引っ掛かってしまって、息子はコアラの抱っこができなかったので、それだけは心残りだったかな。乗り物好きの息子の心を鷲掴みにしたのは、水陸両用バスのアクアダックでのドライブ&リバークルーズ。ツアーを楽しんでいる息子の隣で、私はブロードウォーター沿いに建つ豪華なミリオネアハウスを眺めては、ため息をついていました。トム・クルーズの家と停泊中の船は無茶苦茶凄かった。う~ん 品のない言い方だな。でも”夫が引退したら、ここに住みたいな”と心底思ったんだよね。

それから、ホストファミリーにお勧めされたCarrara Marketsはカオス of  カオス。オーストラリア最大面積(東京ドーム2つ分以上)に屋台が雑然とひしめいていて、何処をどう歩いているかわからず、すっかり迷子になってしまった。こうなったら、”なるようになるさ”と考え、心惹かれるお店に入っては、息子と珍しい(愉快な)商品を手にとっては楽しんでいるなか見つけたのが、サングラスをしたワニが自分の尻尾をつまみ上げながらサーフィンしているオブジェ。これは運命の出会い。息子も何だか気に入っている。速攻で買っちゃいました。10年以上も我が家のお手洗いに鎮座してたけど、私の不注意で落として割ってしまったので、もう一回買いに行きたいと思っているんだけど、いつになることやら・・・。屋外のフードエリアでドイツから来たばかりのアルバイトの店員さんにホットドックを注文したら、何度言っても私の英語では通じなくて、息子の注文は1回で通ったのも軽くショックだった。オーストラリアに馴染んでいると思ってたのは、私だけだったのね。

4週間とは言え、英語漬けの生活をしていたので、息子の英語力も随分伸びた印象。そりゃそうだ、オーストラリアの学校では英語しか使っていないもの。日本でインターに通っていても、日本人の生徒もいるので、ここまで英語漬けになったことがなかったし。確かに、息子は日本語も英語も伸ばすことができたけれど、常にバランス良く伸びた訳ではないんだよね。時に日本語が優位に、時に英語が優位になりながら伸びていき、結果、均衡バイリンガルになったんだけど、オーストラリアに来ている時期は圧倒的に英語が優位になっていたんじゃないかな?学校だけではなく、日本語が全く話せないホストファミリーとも英語で話していたから。息子だけじゃなく、私も強制留学のようになってしまい、多少は英語力が付いたかも?大人の私と違って、息子が何のストレスも感じないで英語を話す姿を見て、ホストファミリーのAnneが「日本では何歳から英語教育がスタートするの?」と聞いてきたことがある。「私は中学生になってから。今は小学生からよ」と答えると、とっても驚いて「Too late」と何度も言っていたのがとっても印象的だった。「私もそう思ったので、息子には2歳の頃からスタートしたの」と言うと「賢明な判断ね。○○(息子の名前)がこれだけ英語を話せるのだから、あなたも頑張らないと」とダメ出しまで受けてしまったけど。

途中、風邪をひいて学校をお休みした日もあったけれど、晴れていれば昼間の気温は20℃前後。総じて過ごしやすい日が多かった。最後の日は、息子は教室から出ると私にしがみついて泣いてしまった。泣くことを想定していなかったので少し驚いたけど、たった4週間で「この学校に変わりたい」とまで言っていたくらいだから、息子の気持ちがよく分かる。校長先生が生徒の名前を全員覚えているくらいアットホームな学校だったし・・・。息子の初めての留学先がこの学校で良かったと私も本当に思ったし、日本に戻ってからも「Broadbeach State Schoolにまた行きたいな」と息子も何度も言っていたので、翌年もお世話になったんだよね。

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