東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode77】5歳11ヶ月 オーストラリアの小学校へ③

 
この記事を書いている人 - WRITER -
2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
詳しいプロフィールはこちら

Broadbeach State School初日の朝は、コーディネーターと校門で待ち合わせをしてOfficeで諸手続きをしていただいた。息子の年齢だとKindergartenでもElementary Schoolでも、どちらでも良いとのことだったのでElementary Schoolを選択。帰国すると、9月からはGrade1に進級する息子。オーストラリアでちょっぴり早くGrade1を体験することとなった。売店で購入した制服に着替えてクラスルームへ。Officeがあった建物は鉄筋だったけれど、驚いたことに息子のクラスルームは木造校舎の2階。至る所でミシミシ・バタバタで、なかなかの風情。1週間ほどの冬休みが終わり、新学期の初日だったので、教室では皆が久しぶりに再会したクラスメイトとワチャワチャの真っ最中。そこにひょっこり現れた息子にみんな興味津々の眼差しを向けてきたものだから、息子の緊張は一気に最高潮に達してしまった。教室前の廊下で待っていると、すぐに担任のMrs. Hatchinsがやってきて、私は先生と簡単な挨拶をしてすぐにバイバイとなった。気になったので、できるだけゆっくり歩いて息子の様子を見ていたけれど、普段通りに先生と会話をしながら教室に入って行ったから、とりあえずは“大丈夫そう”と思って帰宅。さすがにその日は外出もせず、ホームステイ先の自室とリビングを行ったり来たりしてソワソワ。私の心配がAnneにも伝わったみたいで、何度か飲み物を注いでくれたけど、最後にはアルコールを出されて「これを呑んだら、少し落ち着くかもよ」と言われてしまった。迎えに行くと、息子がクラスメイトと一緒に会話しながらニコニコ笑顔で出てきたので、ホッ。その日から帰国するまでの約4週間は毎日「楽しい」と言いながらBroadbeach State Schoolに通っていたので、なんと適応能力の高いこと!と感心してしまった。息子がさっさとBroadbeach State Schoolのクラスメイトに溶け込んだのとは対照的に、私はというと・・・。息子が一緒にいると、わからない時は息子が通訳してくれたので、Anneとの会話も弾んだけれど、息子がスクールに行っている平日の昼間は私の方がギブアップ。多分人生の中で1番無口な4週間だったと思う。息子をスクールに送り届けて、ホームステイ先に戻ってくると、自室の掃除や洗濯をひと通りやってからは、お迎え時間まで、殆ど毎日外出していた。だって、家にいるとAnneと英語で会話しないといけないんだもん。これは辛かった・・・。子供がサマースクールや現地校に通っている間に、親も英会話レッスンをするスタイルの親子留学もあるけれど、これをする方には尊敬の念を抱いてしまう。私には無理だ!それで外出して何をしてたかというと、後半2週間のコンドミニアムでの自炊に備えて買い物をしたり、サーファーズ・パラダイスに行ってプラプラしたり、とにかくウロウロしてた。一度、バス旅をしてたら、帰りのバスの便が予想外に少なくて、お迎え時間を過ぎてしまい、焦ったことも。そういえばAnneに日本語の本が揃っている図書館を教えてもらったので、行ってみたら中国語の本しかなかった。“Anneにとっては漢字が書いてあったら日本も中国も一緒なんだなぁ”、と苦笑いしたけど、Anneの図書カードを使って、息子が好きそうな絵本をたくさん借りてくると息子は大喜びで読んでたっけ。そうやってひとりでウロウロしてても、周りは全て英語だから、随分英語に慣れたとは思うけれど、学生時代に留学なんて全く興味なかったのに、この歳になって強制的に留学体験をさせられるとは思ってもみなかった。

さて、息子が通ったBroadbeach State Schoolは、20人ほどのクラスが各学年2〜3クラスあった。息子が今まで通っていた日本のインターは1学年1クラスしかなかったし、学校や校庭が広くて生徒がたくさんいるなんて、息子にとっては初めてのことなので、“戸惑って馴染めないままだったらどうしよう?”とかなり心配していたけれど、幸運なことに息子にとってはそれがとっても嬉しかったみたい。クラスメイト56歳ともなると、人見知りするより好奇心の方が勝るようで、入れ替わり立ち替わり息子に話かけたり、ルーティンを教えてくれたりして、打ち解けるのに時間はかからなかった。

オーストラリアは夏休み中の日本とは真逆の冬。日本の冬より随分暖かく、特にお日様が出ている日中は半袖・短パンでウロウロしている人も多かった。息子も学校では基本的に半袖・短パン。でも天気が悪いと気温が上がらないので、トレーナーを持たせていたのだけれど、周りに合わせて、トレーナーを着ようとしないのよね。寒くて鳥肌も立っているのに。あっという間に鼻水ズルズルになってしまった。ランチは息子が普段使っているランチボックスを日本から持って行き、毎朝持たせていたけれど、“せめてランチは温かいものを”と考え、クラスルームまで出来立てを運んでくれるランチを毎朝売店で注文することにした。後にオーストラリア生活が長い日本人に聞いたのだけど、“オーストラリアの人はお肉をしっかり食べるから日本人と比べて体温が2℃位高い”のだそう。ホントかどうかわからないけれど、確かに息子や私はプルプル震える寒さなのに、半袖・短パンで平気な顔している人が多かったな。そんな人々に合わせて、息子も半袖・短パンでいたら風邪もひくよね。いくら言っても聞いちゃくれない。Broadbeach State Schoolに通い始めて1週間経った頃にとうとう風邪でダウンして病院を受診。学校を休んだのが、息子には相当効いたみたいで、やっと寒い時はトレーナーを着てくれるようになりました。病院でのやりとりも英語だったので、その日は私も精魂尽きてしまいました。病院の帰りに温かいラーメンを食べたら、すっごく美味しかったのよね。1番美味しいと感じたかも。今になって思うと多分、私は軽いホームシックだったと思う・・・。Anneとテレビのクイズ番組やスケートショーを見ながら話す息子。好奇心旺盛なクラスメイトの質問攻めに答える息子。当然、全て英語でのやり取り。全編英語でも、まったくストレスを感じてない息子。一方、私はストレスで瀕死の重症。たった1ヶ月のオーストラリア滞在で瀕死の重症を負った私が言うのも烏滸がましいけれど、中学から英語を始め、高校・大学あるいは社会人になって留学などして、高い英語力・コミュニケーション力を習得された方は、大変な努力をしたんだと思う。私は中学・高校・大学で、その努力をしなかった。そして、息子をインターに通わせたことで、英語をやるインセンティブが生まれ、苦労をしたんだけど、5歳で全くストレスを感じずに英語を話す息子を見ていると、“私も早期英語でネイティブと同じように英語を習得したかったなぁ”と素直に思っちゃった。

 

この記事を書いている人 - WRITER -
2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
詳しいプロフィールはこちら

Copyright© バイリンガル子育て 実践と記録 , 2023 All Rights Reserved.