東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode53】4歳1ヶ月 母、無謀にもクラスマザーとなる

 
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2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
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実はこの時期もまだ東京から九州のインターに通わせた頃のことを私は引きずっていた。っていうか、今も引きずってるな。とにかく“どんな些細なことでも息子からのサインは見逃すまい”と思う一心で、率先してクラスマザーに手をあげちゃった。学生時代は、生徒会や部活の部長などに立候補したこともなく、出来るだけ集団の真ん中で、周りの景色も見ることなく、流れるままに流されてきた人間が、このいきなりの変わりよう。インターに通って、自己肯定感がアップしたのは息子より私の方が先だったのかしら?自分でも驚いた。それでひたすら後悔もした。だって英語できないんだもん、一体どうするの自分⁉︎

でもね神様?が助けてくれた。もうひとりのクラスマザーは日本語が堪能(ご主人は日本の方)。私の拙い日本語/英語をしっかり受け止めて、色々教えていただいた。しかもこのママさん、私が今まで出会った中で1番サバサバ(いい意味での)andポジティブand行動力無限大の人。時々お姑さんの不平不満を私に愚痴ってたんだけど、ある日、私の目の前に血液型に関する本を掲げて、「私この本読みました!」と満面の笑みを浮かべて言うので、“偉いねぇ 血液型の本を読んでお姑さんの性格を分析し、関係改善に努めようとしているなんて…、健気だなぁ”なんて思いウルっとなったところに、「私はあの人(お姑さんのこと)とは性格が合いません。この本を読んでそれが分かりました。だから無理です」って予想もしないお言葉。ビックリした。“言葉を失う”って、こういうことなのね…と思ってしまった。その何年か後には、自分の子どもに合ったスクールを作るんだ!と言っていきなりスクールを辞めちゃうし。子ども同士の仲も良かったので、スクールを辞めた後もBirthday partyやXmas  partyに招待されたりして、交流は続いたけれど、ご主人のお仕事の都合でアメリカに戻ってしまった。お別れの時にアメリカ シリコンバレーの新居の写真を見せてもらったけれど、家の大きさにも、部屋数の多さにも、庭の広さにも驚き、再び言葉を失ってしまった私。とにかく全ておいてスケールのデカいママさんだったな。

そんな彼女に引っ張れながらのクラスマザーのお仕事は多岐に渡っていた。クラスの担任の先生と保護者の橋渡し、生徒数の少ないインターだったので、各学年のクラスマザーが全員集まってイベントでのボランティア内容を決めたり、スクールの運営や設備等をより良くするためにスクールスタッフや校長先生とミーティングしたり…、“こんなことまでするんだぁ”と正直大変な思いもした。でも日本の学校しか知らない私にとっては、とても良い経験でした!校庭で楽しそうに遊ぶ息子の姿を見て安心もできたし、“クラスマザー万歳”って感じかな…。

あっ、英語は・・・、毎日のように英語でコミュニケーションをしたので、ちょっとずつできるようになったというか、周りの方に私のド下手な英語に慣れてもらったというか、とにかく人生でいちばん英語+ジェスチャーでコミュニケーションを取る力があった時期かも。

それと…、当時毎週水曜日は日本人の保護者がキッチンでカレーライスを作って生徒に販売(ランチとして)していた。大量に作ったので、結構な確率で余ったカレーを持ち帰ることができちゃった。毎週水曜日の我が家の夕飯はカレーライス。息子にいたってはランチも夕飯もカレー。ちょっと手を抜き過ぎてたかな…?

この頃から1日15分から始めて、長くても30分を目安にドリルを使って運筆練習を開始。迷路や点と点を結ぶ作業→正しい書き順・書き方で文字や数字を書くことを進めていった。その際は向かい合って座るより、膝の上に息子を座らせた方が私の手を自然に息子の手に添えてサポートができた。息子が逃げないようにホールドしていたと言う方が適切なのかも?私も息子が膝の上にいるので、そこから身動きもできず、息子との作業に集中できて良かったっけ。

そして息子は乗物と食べることが大好きだったので、これらに関連付けていろいろ教えると上手くいった。住んでた場所はバス王国。ビックリするくらいの頻度でバスに出会う。自転車で移動中もバスが通ると息子は必ず私に「お母さん。あのバス どこ行き?」と聞いてきた。その度に「○○行きよ」とバスの行き先を教えてあげていたら、形で漢字を覚えてしまった。1回教えたものは殆ど記憶して、次に同じ字を見ると自分で「番 ○○行き」と私に教えてくれることも。好きなものに対する子供の執着は本当にすごい。また道路脇の行先表示や交差点で見かける○○通りという表示を読むことに夢中にもなってた。自転車で道を走っているだけで漢字のお勉強ができるなんて思ってもみなかったが、息子は楽しんでいるし、私もただ聞かれた文字を読むだけで息子が勝手に覚えてくれるのは助かってた。地下鉄も「○○に行くには○○行きに乗らないといけない」などよく研究してたこと!

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