東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode43】3歳5ヶ月 抵抗勢力現る

 
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2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
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息子が最初に通ったプリスクールはスクールも先生も申し分なし。でも小学校受験を見据えて我が子をプリスクールに通わせている家庭が多かった。お迎えの時間が選択でき、我が家は14時半を選択していた。夕飯までの時間はたっぷりあったけれど、その時間にプリスクールを後にする生徒は、その後の時間をお稽古ごとや小学校お受験ためのお教室に費やしていたので、放課後一緒に遊ぶこともなかったなぁ。特殊な人脈も太〜い柱の実家も持ち合わせていない普通のサラリーマン世帯の私には遠い世界の人々だった。

その後息子が通ったこのインターナショナルスクールは保護者も生徒も多様でユニーク。前のプリスクールは欧米の生徒が多かったけれど、このインターの息子のクラスはオーストラリア、ナイジェリア、、イラン、香港、インド中国、韓国などからの生徒がてんこ盛り。母親が日本人という家庭も多く、放課後は頻繁に我が家で遊んだり(インターに近かったので)、公園で遊んだりしていた。小学校受験など全く関心がない家庭だったので、母同士の話題も“小学校受験対策のお教室”や“最近の○○小学校の傾向”など話は一切ナシ。「働きに行くので下の子を保育園に預けるようになったけれど、なかなか慣れてくれなくて辛い」とか「うちの子はナイジェリア夫のDNAがかなり入ってて、エンドレスで動き回ってるので追っかけるのが大変!血が違うのよっ!(本当にその子はいつもゴムまりのように跳ね回って遊んでいた。息子も追いつかないくらい)」などなど、常に子供の話をしていたので楽しかったし、参考になる話も多かった。

この頃になると、クラスでは先生のサポートを受けながら、集団生活が楽しく快適になるように生徒ひとりひとりが考え、協力する姿勢が少しずつ芽生えていた。最初のうちは先生が仲裁に入らないと解決できなかったトラブルも、生徒達だけで解決できるようになってきて…。家でも子供とのコミュニケーションをしっかりとって、実際見ることのできないスクールでの様子を把握している保護者が多かったので、放課後子供達が遊んでいてトラブルがあったとしても、すぐには介入せずにしばらく見守るようにしていた。だけどこのエピソードの時は、ひとりっ子×ひとりっ子の言い争いが発端だからお互い折れない。しかも3コマ目で息子を慰めてくれたクラスメイト(Hiroshi)はちょうど飲み物を買いに行っていて、息子は孤立無援状態。涙をいっぱい溜めて頑張ってみたけれど、まさに多勢に無勢。女の子達に背を向けた途端、ポロポロ涙をこぼして、私の足にしがみついた状態で自分の主張を続けていた。スクール生活でも我を張る息子が他の生徒と衝突し、兄弟が沢山いるHiroshiらの仲裁で大きなトラブルに発展せずに済んでいるんだろうなぁ…、と容易に想像できる出来事だった。「いつも息子がお世話になっています」と言いながら、Hiroshiと硬い握手を交わしたいくらい頭の中が“感謝”の文字でいっぱいになったよぉ。

 

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