東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode149】6年生 英語が出てこない⁉️

 
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2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
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何度もコメントしてるけど、私と息子は九州で生活し、夫は東京で単身赴任という生活をしていた我が家。夫と私の故郷でもある九州は、まだまだ高校受験が主流。インターに通わせていたので、英語が受験科目に入る高校受験をターゲットにしていたんだけど、受験は学力向上の良い機会と捉えていたから、地元の教育大学附属中学を受験して、さらに高校受験をするつもりでいた(地元の教育大学附属は高校以降がないので)。それもあって、家庭では日本語や日本の小学校でやる学習にちゃんと取り組んでいたの。ところが模試を受けると教育大学附属中学は毎回A判定が出るし、息子は「お父さんを超えたい」というので、だったら九州内にある夫が卒業した学校を中学受験させようか?・・・、となった。ところがどうやらそこも“いけそう”となった時に、馬鹿な親は欲を出してしまったのよね。そもそも夫と離れて暮らす理由となった家庭の事情は払拭されたし、だったら中学進学を機に再び家族3人で生活するのもいいんじゃないの?となり、首都圏の中高一貫校を目指すことにしたの。とはいうものの、中学受験に関する情報は、夫が大学生の頃に家庭教師のバイトをしていた頃の情報くらいで、最新の情報はほとんどわからない状態。それで夫に首都圏の学校説明会にいくつか行ってもらった。そしたら、帰国クラスがあるとある中高一貫校をとても気に入った様子。“ここならインターに通って習得した息子の英語力を維持できるんじゃないか”って。夫は“中学・高校でいかにして息子の英語力を維持・向上させるか”を考えていた一方で、“進学校に行くことになったら英語だけは外部の塾に頼らざるを得ないのかな・・・”と残念に思っていた。何故なら、英語のアドバンテージがある分、他教科の勉強だけではなく、部活や課外活動等、息子が好きなことに打ち込んで欲しい、と考えていたから。でも英語を学校外の塾等に頼らざるを得なくなったら、それもままならなくなる・・・とジレンマ。そもそも、帰国クラスがあるその中高一貫校の存在を夫は全く知らず、息子の成績で狙える学校をリサーチしている中で見つけたらしく、正直なところあまり期待しないで学校説明会に参加した。そして、説明会に参加して初めて知った帰国クラスの存在に夫は“これだ!”と思い、興奮気味に私に連絡してきたの。「この学校の英語の取り出し授業なら、◯◯(息子の名前)の英語を維持できるよ。英語は放課後何処かの英語塾に通わないといけないかな?と思ってたけど、この学校ならそれをしなくていいから、他教科の勉強でも部活でも◯◯(息子の名前)が好きなことに打ち込める時間もできるし。◯◯(息子の名前)がこの学校と、この学校より偏差値の高い学校にも合格したら、どっちを選ぶか多分すごく迷うな」とマシンガントーク。“迷うな”と言いつつ、夫の心は“ほぼ決まり”という状態。夫からそう聞かされても説明会に行ってない私と息子は、塾で国立大学附属中学・御三家・関西の進学校合格に向けての勉強をしてきたから、これらの進学校への拘りは捨てきれずにいた。ただ夫が気に入った学校は1月校なので、2月に控える本番前の慣らし(ここでムッとしないでね。後半のお楽しみ)で、帰国クラス(主に帰国子女で構成される英語ネイティブの先生による授業を受けるための入試)と一般入試の両方で受験することにした。

帰国クラスの受験は、事前に出されたテーマについて英語でエッセイを書いて願書と一緒に提出。受験当日は英語の筆記試験+面接。エッセイのテーマは「尊敬する人は誰ですか」。面接のテーマは「無人島に何かひとつだけ持って行くとしたら、何を持って行きますか?」。エッセイはインターのGrade6の時のExplorer projectで息子が取り上げたヘンリーモートンスタンレーを尊敬する人とし、彼の功績や後世に与えた影響を良い面と悪い面の両方からのアプローチで書いた。Grade6の時にじっくり取り組んでいたので、特に大きな苦労もなく英語でエッセイが書けたけど、問題は試験当日の英語での面接。インターを辞めて10ヶ月程経つ。英検対策のために、1学期の途中まではシェーン英会話のマンツーマンレッスンに週1で通っていたけれど、1級取得以降は辞めて完全に中学受験対策にシフトしていた。夫は「英語での面接に備えて、1度◯◯(息子の名前)をネイティブの人と会話をさせておいた方がいいだろう」と言って、試験前日にオンラインでのレッスンを予約してくれた。私はそうは言っても、インターに通っていた頃の息子は英語でのコミュニケーションに一切不自由を感じてなかったし、インターを辞めて1年も経ってないから、そんなことしなくても大丈夫なのに・・・。ただでさえ、受験日が迫って一分一秒でも惜しいのよ!余計なことはしないで!”と思っていた。ところが、いざ、オンラインレッスンが始まると、相手の言っていることはわかっても、言葉がなかなかスムーズに出てこない息子。言葉に詰まっては考え、詰まっては考え・・・、その繰り返し。自分に何が起こっているのか?どうして良いかわからない様子で、あっという間に息子の表情が曇ってしまった。レッスンが終わる頃には、最初の頃と比べて、少しは言葉が出てきたけれど、それでも、インターに通っていた頃とは全く比べものにならない状態で終了した途端、息子が泣いてしまった。私もただ、ただビックリ。ここのところ勉強ばかりで読めてなかった英語の本を1時間ほど読むと、感覚を取り戻せたようで、息子は落ち着きを取り戻したけど、あんなに英語がスムーズに出てこない状態を目の当たりにした私もパニック。試験は翌日なので、今さらどうしようもない。息子には「大丈夫。ゆっくり自分のペースで話そうね」といって、祈るような気持ちで試験に送り出した。でも、前日のレッスンと読書のおかげか?試験の面接では英語はスムーズに出たみたい。

夫の提案がなければ、試験当日の面接で英語が出てこなくて息子は絶対パニックになっていたと思う。前もって自分の英語の状況を認識・自覚させておいて良かった。本人も、まさかこんなに喋れないとは思ってなかっただろうから。これは夫のGood jobだよ!

中学受験の結果は・・・、横柄にも「2月校に備えての慣らし・腕試し」と言った学校のみの合格。2月校は2校受けたけど、不合格でした。不遜な態度をとってしまって申し訳ありません💦夫は「国立大学附属中学・御三家・関西の進学校にも合格したら迷うなぁ」と言ってたけど、とんだ“取らぬ狸の皮算用”でした!“迷う”どころか、その学校にしか合格できなくて・・・、トホホ・・・。

こうして息子の中学受験は終わり、虚脱状態の母を尻目に息子は毎日弾けるように友達と放課後遊んでました。

中学受験は4教科受験を前提に準備をしたので、帰国生入試については何の準備もしてなかった。帰国子女アカデミーのことは中学に進学してから知ったのよね。そもそも帰国子女アカデミーは、駐在等を終えて帰国したお子さんの英語力の維持のために通うところという認識。息子は2歳からGrade6の途中までインターに通い、年齢に応じた英語を習得し、読む力と共に、自分の意見を言う・書く力もしっかり備わっていたので、帰国生入試に充分対応でききたと思う。こうして息子は帰国クラスと一般入試両方で合格し、その学校に6年間通うことになりました。

今、夫とよく話すのは、中学受験で英語の取り出し授業のない学校に運良く合格していたら、その後の息子の進路はどうなってただろう?ということ。息子の性格も考慮すると、海外大学なんて視野に入らず、東大一直線だったと思うのよね。そもそも海外大学進学というチャレンジが芽生えたのは息子が高校生になってのことだから。中学以降に本格的になる日本の授業で英語を習得するのではなく、それまでに習得した英語を中学・高校の英語の取り出し授業で維持・向上させ、さらにその英語を使って様々な活動やプログラムに参加したことが1番大きかったな。海外大学進学を見据えた英語の取り出し授業のレベルは高く、課題等も大変だったけど。不合格だった2校は英語の取り出し授業がなかったし、中学では野球部に入ると決めていた息子に、英語の維持のために学校外の英語塾に行かせることを納得させるのは難しかっただろうなぁ。「◯◯(息子の名前)が英語の取り出し授業のある学校と、その学校より偏差値の高い学校にも合格したら、どっちを選ぶか多分すごく迷うな」と夫が言った時に、「なーにをふざけたことを言っとる!2月校+関西の進学校を目指して勉強してたんだから、迷うことなく2月校か関西の進学校に行くに決まってるでしょ!!」と毒づいていた自分を今の私はフルボッコにしちゃいたい気持ちで一杯なのさ。

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