【Episode148】6年生 いざ、中学受験!

我が家の中学受験についての詳細はブログの『中学受験を振り返ってhttps://no-caramel.com/blog/junior-high-school-entrance-exam/』をご覧ください。
中学受験の経験がない私が、小学生の息子に学習面のサポートをする際に頼りにしたのは、中学受験の経験がある夫。ただ、夫は第一志望に落ちてるんだよね。それで不合格だった学校に高校受験をして合格。不合格には懲りて、高校生の頃はちゃんと勉強したかと思いきや、大学受験で不合格となり、一浪してやっと合格した人。そんな夫を頼りにするなんて“なんとも頼りない”と思うでしょ?でも、失敗した(不合格だった)学校に、どうやったら合格できるんだろう?と考えて実践し合格した人だから、息子に自分と同じ轍を踏ませないようにすることができたんだよね。しかも大学生の頃バイトで家庭教師もやってたし・・・。
夫は3人兄弟の末っ子。6学年上の義兄が高校受験をする時は、義兄の邪魔をしないように自分専用のテレビをあてがわれ、放課後お友達と遊び終わった後、家ではずーっとテレビ三昧だったとか。地元の公立中学に通っていた義兄はそもそも周りが何も言わなくても自分で勉強ができる人で、成績も良かった。塾は英語と数学のみ。地元を出たことのない義父は県のトップ高校に進学し、地元の国立大学に進めば良いと思ってたみたいだけど、東京に住んだこともある発展的な義母が「ようわからんけど、◯◯って学校があるげな。そこば受けてみらんね」と勧め、他県の進学校を受験をすることになったんだとか。ところが、いざ受験をしに行くと、地元のトップ塾の生徒がたくさん受験しに来ていて、しかも相当気合いが入った様子だったので、義母は「とんでもない場違いなところに受験しに来た」とあちゃーと思ったんだって。入学して父兄が集まり話をする機会があった時も、みんなすっごい勉強をしていたと聞いて、「もしそれを前から知っていたら、とてもうちの子には無理と思って受験させてなかった」とまさに知らぬが仏状態(義兄はそんなことなかったようだけど)。義兄がその高校に合格して、みんなから「うぉー すごい!!」と言われるのを見て、「そげん褒められるなら、俺も兄ちゃんと同じ学校に行こう」と思ったおバカな子が私の夫。自分から勉強をしていた義兄と違って、勉強が嫌いで、やらなければならないことをギリギリまで先延ばしするタイプの夫が、自分をコントロールして受験勉強に邁進なんかできっこない。義兄が合格した高校の中等校を受験したけれど、見事に不合格。大学もストレートで合格した義兄、浪人してやっと合格した夫。ここまでくるとなんだか愛おしいく思えてしまう。
で、夫は自分の子である息子が勉強好きになるなんて全く思えなかったそう(息子も勉強大嫌いだから当たってる)。だから、息子が小さい頃から「わからないことがわかる、知らないことを知る楽しさ」を試行錯誤しながら教えていたのよね。自分から勉強するタイプには育たないと思われる息子には、そうやって親が手取り足取りやっていかないといけないと思っていたみたい。夫が中学受験の頃に通っていた塾の他の生徒は、帰宅後も親が勉強を見てやって、わからないところは塾の先生に聞いてくるようにいうなどして親がしっかり伴走していたようだけど、夫にはそれがなかった。当たり前だよね、高校で受験した義兄は親が関与しなくても自分でそれができる年齢だったし、実際それができたんだから。でも小学生で「自分で何もかも」は厳しい(なかにはできる子もいるみたいだけど)。「中学受験に失敗したのは、そうした親の関与がなかったから。でも高校受験の時は自分で考えて勉強したから合格できた」と考える夫は、中学受験は親の“ちゃんとしたサポート”必須の立場。ただ、小学校中学年くらいまでは、自分がそうだったように机にかじりついて勉強しなくても普遍的な学習だけキチンとできてれば良し、という立場でもあった。一方、ママ友からは「塾は3年生から行かせた方が良いと塾の先生に言われた」「中学受験は親の頃とは状況が随分様変わりして難易度も上がったから、親の経験値だけで挑んではダメだ」なんてプレッシャーをかけられるたびに、中学受験の経験のない私は言われたことを夫に投げてたんだけど、「小学3年から分数を教えるからね。初めての論理的思考、ここで躓くと後が大変だから言ってるんでしょ。◯◯(息子の名前)はちゃんとできてるから大丈夫」「御三家レベルを受験するトップ層はそんなに変わってないよ。マシンのように問題を早く解くだけの生徒を学校が欲しいとも思えないし」と取りつくしまもなく打ち返されしまった。息子の勉強を見ていたのは主に私。低学年の頃から受けている塾の公開テストの成績はまずまずだし、家庭での学習も順調に進んでいたけど、インターにも通っているし、ママ友からいろいろ情報が入ってくるしで、不安な事ばかり。確認も兼ねて夫に「塾に行かなくて大丈夫?」って聞くたびに「低学年で何するの?」だの「塾は受験のテクニックを身につけるために行くところ、学習習慣は家庭で身につけるべき」だの言って全く動じない。でも、今振り返ると、息子の状況をよくわかっていたのは、私ではなく夫かもしれないぁ。少なくとも広い視野と長いスパン、中学受験は途中経過であってゴールではない、その先も続くということを踏まえて対応していたのは、夫の方だったと思う。幼児期〜小学校低学年の頃は、家の中でも外でも、あらゆる場面で息子とやり取りしながら知る楽しさ・わかる楽しさを教え、机に向かってドリルや問題集を解くことより、親子の会話を楽しみながら息子の興味あること深掘り・横に広げていた。教科横断型のマンツーマン授業をずーっとやってる感じだったのよね。皆さん『鉄腕DASH』(日曜日午後7時〜日テレ)ってご存知?これが始まったのは息子が産まれる少し前。普段は甲斐甲斐しく息子のお世話をしていた夫が、このオンエア中は息子がどんなに「あう あう」言っても、上の空の対応。息子がちょっと大きくなると一緒に見ながら、次に起こる出来事を予想したり、出演者が挑戦していることが成功するか失敗するか、何故そう思うのか・・・、とにかくふたりでやり取りしながら見てました。大学生になった今でも日本にいる時は、夕飯の後ふたりで見ながら話をしているの。『鉄腕DASH』を見ながらのやり取りのようなことを、夫は息子が小さい頃から、普段の生活の中でずーっとやってきたのよね。こうしたことは、子どもの眠い・遊びたいという自然な欲求を親が抑えて努力させる中学受験とは直接関係がないけどけど、中学受験を経て、中学・高校生の頃の息子が、勉強は嫌いだけど、やんなきゃいけないことと割り切り、試行錯誤しながらも自分に合う勉強スタイルを身につけ、予備校に通うことなく、部活を続けながらも日米併願が可能だったことに大きな影響を与えたんじゃないかな。
さて、6年生になって進学塾に通うまでのんびり育ってきた息子も、さすがに進学塾のトップクラスに入ればピリピリするかな、と思ってたんだけど、ピリピリしたのは私の方。息子は相変わらずマイペース。一日中勉強させられた夏休みの塾の合宿では、ペースが乱れてしまったんだけど、家で勉強している時は、ピリピリしている私が見てないところで適当に息抜きをしてたようね。私が買い物に出かけている時に、こっそり甲子園を観ていたことがバレて(だって帰宅したらテレビのチャンネルが私が消した時とは違うNHKになってたんだもん)、こっぴどく怒られたんだけど、それ以降はテレビを観た後はチャンネルを元に戻し、濡れたフキンでテレビを拭いて冷やし証拠隠滅を計ってたんだとか。中学・高校の時もそう。高校3年の夏休みは、私には「学校や家の近所の予備校の自習室で勉強してくる」と言って家を出たのに、スポーツショップのテレビで甲子園の試合を観戦してた、と受験すべてが終わって聞かされた時には、呆れて何も言い返せなかった。在籍しているアメリカの大学では、3割以上の学生がメンタル(原因はいろいろ)をやられていると息子が言うので、「あなたは大丈夫なの?」と尋ねたら、「僕は“もうこれ以上は無理”という限界になったら、ちゃんと息抜きできるよ」だって。さすが小さい頃から、親の目を盗んで息抜きをしてきただけあるな。でもね、意外とメンタルつよつよだったり、自分にあった息抜きを見つけ、メリハリをつけながら勉強できるのも、「机に座って勉強するだけが勉強じゃない」と夫が視野を広く持たせてくれたおかげ、と母は思っているのですよ。
最後に一言だけ。受験に関して個人的に非常に違和感のある言葉が私にはあって、それは「ご縁」という言葉。合格の際には「縁があって合格しました」、不合格の際には「ご縁がなかった」などと使われてるけど、面接や抽選で不合格だったならいざ知らず、テストの点数だけで合否が決まる場合に使うのは納得できないんだよね。っていうか、それまで塾や家庭で偏差値やテストの点数ばかりを言われてきたのに、不合格になったからって「ご縁がなかった」って言われた子どもの気持ちってどうだろうね?私が子どもだったら、「訳わからん!」ってむちゃくちゃ荒れる!「今のあなたの実力では志望校に合格できなかった。でもこれでゴールじゃない。これから頑張りなさい」ってはっきり言ってもらった方がスッキリして前に進める。特に中学受験って親子(大人がサポートして)で乗り越えていくものなのに、大人が結果に対して真摯に向き合わず、「ご縁」という言葉を使って逃げてたら、子どもに申し訳ないよ。夫も同じ考えだから、我が家は受験の合否に関して「ご縁」という言葉は使ったことがないです・・。