東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode135 】9歳9ヶ月 キャンプ!

 
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2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
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Grade4Grade5の合同キャンプに行くのは、息子が低学年の頃からの夢。息子にとって初めてのテント泊でもあった。先生がキャンプでどんなことを予定しているか話す度に、生徒はワクワク・ドキドキ。キャンプ直前は、毎日のようにスクールで聞いてきたキャンプについての話を、溢れんばかりの期待を込めて私に話してくれた。子供達はいくつかのテントに分散して寝るらしいけれど、引率するふたりの先生(Grade4Grade5の担任)は車の中で寝るみたいで、「お母さん 先生がおらんけん夜中にこっそりテントを抜けだすことができるね!」と息子は嬉しそうに言っていたけれど、“夜中にテントを抜けだして、一体どこに行く?キャンプ場だよ!真っ暗だから、懐中電灯があっても、怖がりの息子はテントから一歩もでることができないと思うけれどなぁ”と思いつつ、ワクワク・ドキドキしている息子を行く前からガッカリさせるより、実際に体験した方が良かろう・・、と何も言わず「うん うん」って聞いておくことにした。保護者にもレターでスケジュールを予め教てくれたけど、“Free time”“Relax time”という単語の多いいこと!子供達が“Relax time”なんて必要としているわけがないし、仮に“Relax time”だからリラックスするように子供達に言っても、常にリラックスしている子供達にリラックスの意味が分かるわけがない。要するに、配られたスケジュール表は子供達のスケジュールではなくて、先生がキャンプ中にどう過ごしたいかをスケジュール化したものらしい。しかも、授業が大幅に遅れていたので(先生が遊んでばかりだから)、授業をしてからキャンプに出発することになり、寝袋+キャンプの荷物+授業に必要な荷物を背負った息子の状況は、荷物に足がついて歩いているみたい。あれだけチャランポランな先生なのに、授業の遅れを取り戻してからキャンプに出発だなんて不思議。こんなことができる先生なら、そもそも授業が遅れるなんてなかろうに・・・。きっと何か他に理由があったと思うな。当日は、生憎の天気で魚釣りもダムでの水遊びもキャンセルになってしまったけれど、夕飯のデザートには定番のマシュマロを焼いて食べ、懐中電灯を灯しての“Campfire stories”(怖い話)で盛り上がったそう(ひとりギャン泣き)。ただ夜中に雨や雷がひどくなり、皆でテントを屋根があるところまで移動しなければいけなかったみたい。気温が下がって寒く、靴下は履いたまま、水遊び用に入れておいたバスタオルを巻いて、短パンは脱がずに、その上からパジャマ用のジャージを着て寝袋で丸くなっていたと聞かされた。天気予報で雷を伴う大雨の予報は出てたんだけどなぁ・・・。そこまでチェックする先生じゃないし・・・。朝には雨も止み、クラスメイトと一緒に4時頃起きて朝日を見に行き、戻ったところで先生達が飲むコーヒーのお湯を沸かすための薪集めを命じられたそう。先生にこき使われたのも息子にとっては楽しい思い出のひとつになってるから、まぁ良いんだけどね。

帰宅した息子の状態は・・・、ホッペは日焼けしているし、靴下は前日と同じものをはいていた。何よりとっても臭かった。シャワーやお風呂があるかどうか分からなかったので、せめてダムでの水遊びの時に汗を流して欲しいと水着を持たせたけれど、寒くて水も汚かったので水遊びもなし(多分ダムで水遊びしてたら、もっと臭くなっていたと思う)。息子の顔がうっすらとグレーがかっていて、しかも眠たそうな顔をしてヨタヨタと歩いているものだから、まるでボロ雑巾みたい。楽しかったけれど、夜中のテントの移動はつらく、息子は「来年はロッジがいい」としんみり呟いていたっけ。

そういえば、高校卒業後の春休みに卒業旅行と称してクラス全員で山中湖に行った時も、バーベキューの際に食べたものがあたってしまって、夜中から帰りのバスにかけて、とんでもない苦難を強いられ、やっと家に着いた時にはげっそりしてた息子。なんでも、お友達が息子のお皿に入れてくれたお肉が生焼けっぽかったけど、お友達の前で焼き直すのも気が引けて、そのまま食べてしまったそう。こういうところは、優しというかお人好しっていうか・・・。卒業旅行で食べ物にあたったのは息子だけ。息子は「楽しかった」と言いつつ、ちょっとだけ苦い思いもある出来事が多いんだよね。

兎にも角にも、こうやってインター生活を謳歌している息子だったけれど、このままインターに通っても大丈夫かな?って、ちょくちょく不安になったのはこの頃から。通っていたインターでの人間関係や英語面・英語での学習についての不安ではなく、日本語での学習面でムムッ?って不安になることが増えたのよね。まず、ソフトボールチームに入って、週末は朝早くから夜遅くまで拘束されるようになったの。離れた場所で試合がある場合、朝6時集合、夜8時頃解散なんてことも頻繁にあって、とにかく息子の集中力の欠如が目立つようになった。机に向かっても一点を見つめてボーッとしていたり、問題を解くスピードがひどく遅かったり。宿題をスクールに忘れて帰ってくることも頻発。宿題を取りにスクールに戻り、宿題を持ってきたと思ったら今度は宿題で読まなければならない本を忘れてきて・・・、なんてことも。前に触れたけれど、塾には通っていなかったけど、定期的に受けていた塾の公開テストの成績もかなり不調で。でも、全てがソフトボールチーム入団のせいではないよね。インターに通うことで、日本の小学校の教科にとりかかる時間が少ないんだから。果たしてインターナショナルスクールにこのまま通わせてもいいのだろうか?最近の公開テストの結果は、もうインターナショナルスクール通いはここらへんが限界。早く日本の小学校に通わせないと、息子の日本語が大変なことになるよ!という警鐘なのかな?なんてひとりで考えて悶々としてた。一方で、息子はGrade5(翌年6)Elementary School卒業まではインターに通って、卒業証書を手にしたいと思っていて、その思いは母も一緒。ソフトボールもインター生活も続ける条件は国語と算数が問題ないことが大前提。夫とは、もう少し公開テストの成績や内容を見て、改善しないようならインターナショナルスクールを辞めるという話もしていて、限られた時間で息子の負担が増えないように、しかも学習内容がしっかり定着するよう、家庭での学習についても見直しをした。

見直しに伴う抜本的改革ひとつ?は算数を夫にバトンタッチすること。私も安直だね、夫に責任を転嫁しちゃった。日頃から、息子が解けなかった問題やヒントを出してなんとか解けた問題でも、ちゃんと理解していない問題はもう一度復習するようにしていて、国語は引き続き私がやるとして、算数は夫にバトンタッチ。算数を息子が理解できるように教えるのは、私にはもう無理なんだもん。4コマ漫画に時々登場するHiroくん(Kindergarten時の同級生。小学校入学のタイミングで日本の小学校に通うようになったけど交流は続き東大に進学)のママは、私が「もう算数は息子に教えることが難しくなってきた」と愚痴ったら、“ありえない”って表情で「え?小学生の問題よ」と返してきたけど、その1年後には「やっぱ算数は教えるのが難しいね。うちは夫(お医者様)が教えてる」と宣った。私が1年前のやり取りを持ち出して突っ込んだら「あら?そんなこと言ったっけ?」だって。やられたっ!彼女の“小学生の算数なんてちょろい”と言わんばかりの態度にすっかり騙されて、必死で予習して息子に算数を教えてたんだけどなぁ・・・。

夫に算数をバトンタッチするといっても、国語は私が時間のやりくりさえすれば、いつでも教えることができるけど、単身赴任の夫は23週間に1回しか九州に帰ってこないので、息子ができなかった算数の問題はファイルにためておいて、夫が帰ってた時に教えてもらうようにした。難しい問題になるとあっさりとあきらめてしまう息子。夫がやり方を順番に説明しているのに、何度言ってもその通りにやらなくて夫に怒られて泣いてしまうこともしばしば。ある時、同じ問題を2日間にわたってやっていたのだけれど、2日目に気がついちゃった。夫は説明が早すぎるんだよ。ふたりの様子を見ていたら、夫の説明を息子が頭の中で整理したり理解しようとしてるのに、それがまだ終わらないうちに夫は次の説明をしたり質問をしたりするんだもん。追いつかないんだってば!

夫は算数が得意だったから算数の苦手な人の気持ちが分からないんだよね。夫の説明についていけない時の息子の表情は、私が子供の頃、算数がわからない時にしていた表情と同じ。夫がいない時、息子に「お父さんが言いようことが早くてついていけんちゃろ?」と聞いたら「うん」と言ったので、「自分が考え終わっていないのに、お父さんが先に進もうとしたらちょっと待ってとかもうちょっと考えさせてって言ったら?」と息子に言ったけれど、そんなこと言えないよね?それからは、息子の表情を見て、夫の説明に追いついてないようだったら、休憩中とか終わってから「さっきのところ、あまりわかってないようだからどこかのタイミングで確認をお願いします」と夫に伝えるのが母のお仕事のひとつになりました。

日本の学校で取り組む学習面への不安は最後まで解消されることはなかったけれど、“これは息子にとっても私にとってもいい経験。これをプラスにするかマイナスにするか・・・。ここは踏ん張りどころ。“踏ん張らなければスクールを辞めてしまうまで→でも、息子が楽しく通っているスクールをやめるのか?→そんなことできない。それなら頑張るしかない”の堂々巡り。とにかく何が足りないかはハッキリしているのだから、しっかりやろうと気持ちを切り替えて、進んでいくしかなかったなぁ。

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