東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode131】8歳10ヶ月 今年も日本の公立小学校へ

 
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2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
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息子は虫が苦手とまではいかないけれど、積極的に愛でるタイプではない。虫が苦手で近寄ることすらできない私も、流石にここまでの虫アレルギーが息子に継承されてはマズイと思って、息子が小さい頃はカブト虫を捕まえに、はるばる阿蘇の山奥に行ったり、息子の前では虫を発見しても怖がる素振りを見せないようにしてたから、私の子にしては虫への拒否反応が薄いのは上出来なんだけど、特にこの年は通った公立小学校のクラスメイトに昆虫博士がいて、とっても仲良くしていた。我が家の周りは道路が狭い所が多い割に車が頻繁に通っていたので、通学路途中にある大学のご厚意で敷地内を通れようになっていたんだけど、大学敷地内に植栽されていた木の皮をめくったり、土を掘ったりして虫を見つけては、登下校が途中まで一緒の昆虫博士の熱の入った特別レクチャーを受けていたので、ホントに帰りが遅く、心配して様子を見に行ったことも数知れず。しかも帰宅した息子から「今日ね、木の皮をめくったら羽蟻がウジャウジャいたよ。それでね◯◯くん(昆虫博士の名前)が、その羽蟻を手にいっぱい入れて池に落としたら、鯉が食べにきてね・・・」なんて毎日のように聞かされ、鳥肌がたちっぱなしだったけれど、私には到底できない昆虫との交流会を作っていただき、昆虫博士には感謝してますよ。

当時、我が家が住んでいたマンションは1階のロビーも冷房がガンガンに効いていたので、朝早いとはいえ、重たいランドセルを背負って、既にメラメラしているお日様にあたりながら息子を迎えにきたお友達は、うちのマンションのエントランスのチャイムを鳴らして私がオートロック開けてあげると、ロビーのソファーで水筒のお茶を飲みながらひと休みするのが日課になっていた。そこへ息子が行くと、さっさと出発すればいいのに、涼しいものだから、前の日のプロ野球の試合についてペチャクチャ喋って、一向にスタートしない。まるで縁側でくつろぐ茶飲み友達!「ほら 遅刻するよ!早よ行かんね」と声をかけてやるまでが私の朝のルーティン。やっと学校に出発しても、あまりにもノロノロ運行だし、話に夢中になってまっすぐ歩かないし、時には車の通る道路の真ん中を歩くこともあるので、後ろ姿を追いかけているこちらがイライラ・ハラハラしちゃう。結局、校門に入ったところでチャイムが鳴り、走って教室に駆け込んでギリギリセーフの毎日だったみたい。せっかくマンションのロビーで涼んで行ったのに、それじゃ最後は汗だくになっていたってことなのね。

インターが夏休み期間中に地元の公立小学校に通っていたのは、2年生から5年生まで(6年生の4月からはインターを辞めて日本の小学校に通いました)。前年(2年生)は、初めて通うということで、緊張していたようだけど、2年目以降は公立小学校に通う日が近づくと「◯◯小学校(通っていた小学校名)に行きたくない。インターのサマースクールに行きたい」と言うようになった。当然だよね。息子が小学校に通うのは6月の中旬から。その頃には新学期のワチャワチャ感も落ち着いて、仲の良い子同士のグループも形成されているだろうから、そんな中に入って行くのは大人の私だって嫌だもの。勿論、息子はハッキリとそう言った訳ではない。この年と翌年(4年生の時)は単に「行きたくない。インターのサマースクールに行きたい」、5年生の時は「去年、同じクラスの子に意地悪されたから行きたくない」とゴネたけど、結局は初日の朝にお友達が迎えにきてくれると、嬉しそうにランドセル背負って登校してくれたの。迎えに来てくれたのは、息子が4歳の頃から通っていた体操教室の同級生。2年生の時は同じクラスだったけど、3年生からは別のクラス。でも、家が近くて集団登校で同じグループだったから、同じクラスでなくても毎年迎えに来てくれた。息子のソフトボールチーム入団をきっかけに体操教室は辞めてしまったけど、その子のママとは道端やスーパーで頻繁に会っていて、「今年はいつから(小学校に)来るの?」と聞かれ「◯月◯日からよ」と答えてたら、必ず登校日の朝ピンポーンって迎えに来てくれたから、ホントに有難かった。息子も私もその子には足を向けて寝られないなぁ。

インターが夏休み期間中に日本の小学校に通ったのは本当に良かった。前述のように多少の行き渋りや、お友達とのトラブルはあったものの、時には周りの力を借りながらも目の前にあるハードル(精神的なプレッシャー)を乗り越えることで、少しずつ高いハードルに挑戦することができ、自身で乗り越える力もついて、その度に成長できたと思っている。

それと給食ね。どんなに行き渋っていても、小学校に挨拶に行って、受け取った教科書等の中に入っていた給食の献立表をマグネットで冷蔵庫に貼っておくと、目敏く見つけては穴が空くほど眺めてた。そんな息子の姿を見ては、“うん 今年も大丈夫ね”と思ってたもん。この年は、学期末のクラス懇談会で、先生が見せてくれた生徒達の活動の様子をおさめた写真のスライドの中に、数人の子供達がジャンケンをしている写真があったの。「これは給食で残ったおかずを誰が食べるかジャンケンで決めているところです」と仰る先生の言葉を聞きながら眺めていたら、すべてのシーンに見覚えのあるシャツが。ほとんど全てのジャンケンシーンに息子が写っていた。しかも息子のシャツは毎回違っているから、毎日のように給食の残り物争奪ジャンケンに参加していたってこと!「給食に出たゼリーを手にのせて、ストローで吸いながら食べると美味しいんだぁ」なんて、その日の給食に食べたゼリーの味を思い出しながら幸せそうに言っていたこともあるし、牛乳の一気飲みの順位も毎日報告してくれたから、毎日の給食を作ってくれた方にも感謝だな。

毎年の初日朝までの行き渋りはあっても、2日目以降は楽しんで小学校に通ってくれたのは大いに結構なことだけど、「小学校で何が楽しい?」と尋ねたら、「一番楽しいのが、なか休みと昼休みで、その次が給食」とキッパリ言われちゃうと、「国語や算数の授業が楽しい」というのは無理としても、せめてこの年初めてやった習字とか、せっかく水彩絵の具の道具を用意したんだから図工とか言ってくれると、“私も少しは嬉しいんだけどな”と思いつつ、自分が小学生の頃を思い出すと、その遺伝子が組み込まれた息子にそれを期待しても無理なのかもね。夫に至っては、「おっ!“Recess”とは言わずになか休み・昼休みと言ったか いいぞ!」と褒めていたから、夫の遺伝子にも期待できないな。

さて、前のEpisodeコメントでも触れたけど、ソフトボールチームに入団して、土曜の午後からと日曜は終日は練習や試合で潰れ、いよいよ家庭学習のやり方に頭を抱えるようになってしまった。算数と国語しかやってなかったんだけど、手強いインターの宿題もあるし、やっぱり週末が塞がっているのは辛い。“効率的に進めなくては”と私の鼻息も荒く・・・。算数と漢字ドリルの他に、読書はしっかり続けているものの、文章を読んで理解し、内容や感想を人にちゃんと伝えられる様になって欲しいと思っていたこの頃、図書館で偶然見つけた「おはようどうわ」を毎日1話読むようにしました。短い文章で子供が読み込むには丁度良いし、字数が限られた新聞掲載なので「それ」や「あの」などの指示語が何を示すのか考えることができる。しかも「作者が言いたいこと」が示されてなくて、何を考えるかは読者にお任せなので、結果自由な発想、感想が持て、受験国語のように「正しい」解説がないところがとても良かった。身につけるべきは国語力であって、国語のテストの得点力ではないので、“答え合わせをしなくて良い文章読解”を「おはようどうわ」で楽しんで?ました。息子が通っていたインターでは日本語の授業があって、息子は漢字ドリルをひたすら進めていたこともあり、家では読んだ日本語の本の読書感想文を書いて、インターの日本語の授業を担当していた先生に添削をしてもらっていた。読書感想文って嫌がる子もいるけれど、「おはようどうわ」で普段から鍛えれられていた息子は、読書感想文を書くのはお茶の子さいさいって感じでした。「おはようどうわ」の詳細はブログの“母語(日本語)の習得のために〜「読み聞かせ&読書」と「おはようどうわ」の活用”をご参照ください。

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