東大・海外大学(HYP)合格・「日本語も英語も」のためにやったこと

【Episode127】8歳6ヶ月 なんだかケイが嘘をつくようになったゾ

 
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2歳の息子をプリスクールに通わせることになった母。息子がセミリンガルにならないよう、「日本語も英語も」育てるために意識してやっていたこと、当時は意識してやっていなかったけれど、今になって“やって良かった”と実感していることを書いています。
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Twitterをするようになって、とっても意識というか気をつけて(気をつかって)いることがあって・・・、それは怖がりな息子に怖い体験をさせたというコメントや4コマ漫画をどのように扱うかということ。ちょうどこの年の節分の時期に、児童館であった豆まきに参加したんだけど、出てきた鬼がとても怖くて息子は半べそかいちゃって、それでも私は助けもせず、どちらかというと楽しんでいるというか季節の風物詩として当然のように捉えてたんだけど、このエピソードは丸々カットしてしまった。節分の時期になると、「子どものトラウマになる」とか「おねしょしてしまった」「思い出して泣いてしまった」「去年怖い思いをしたので、今年の節分は幼稚園を休ませます!」なんてツイートが散見されるので、「もう私が子育てしていた頃の価値観とは変わったのだから、息子が怖がって泣いているのを見ていた」なんてコメントや漫画はやめた方がいいのかな?なんて考えたんだよね。その一方で「明日は豆まき。子どもは怖いって言ってるけど、当然出席させます(キリッ)。異論反論は受け付けません!」なんていうツイートを見たので、今回は私の考えをちょっと書いてみようかな。あくまでも子育て経験済みである私の個人的な見解として聞き流してください。

息子はアニメでは平気なのに、鬼だけではなくサンタもミッキーマウスもプーさん(の着ぐるみ)も怖がった。サンタさんからはプレゼントを受け取ることを拒否、ディズニーランドではミッキーマウスやプーさんからも逃げて大粒の涙を流して泣く子でした。多分、“未知のもの”に対する畏れだったんじゃないかな?2歳でプリスクールに通い始める数ヶ月前に、他の英語教室に体験に行った時はギャン泣きしたのに、その後通うことになったプリスクールの見学の時は一切泣かなかったので、安心して通うことにしたら、登園初日に泣かれちゃったことは以前のエピソードで触れたけれど、見学で泣かなかった時だけは日本人のスタッフが対応してくださった。英語教室の体験や、プリスクール初登園では、外国人の先生がいきなり出てきたものだから、本人はビックリしちゃったんだろうね。だって、普段接している平たい顔族の父と母とは髪の毛、目、肌の色まで違うんだから。でも、「この人はお父さんやお母さんと同じなんだ」と次第にわかっていった。そうやって“未知のもの”の本質を理解して怖がらなくなるんだけど、中には理解できない、或いは頭では理解できるけど怖いものがあって、それがこの時期の息子にとってはお化けや鬼だったんじゃないかな。息子だけではなく大人だってお化けや鬼は怖い存在。だけど、こういう存在があって良いし、必要以上に遮断しない方が良いと私は思っている。私が小学生の頃「はだしのゲン」を読んだり、原爆資料館を見学したりした時は、確かにショックを受けたし、怖いとも思った。今でも漫画のシーンや資料館で見たフィルムや展示物だけでなく、その時にどういう気持ちになったのか鮮明に覚えていている。これらについて今は充分理解できるし、小学生の頃は理解が追いつかない部分もあったけど、今も昔も共通して抱いたのは「戦争は嫌だ」ってこと。戦争の悲惨さを伝えるために「そこまでするか?」っていう人もいるかもしれないけど・・・。

私や夫が小さい頃は、多くの家に仏壇があったり、家庭によっては得体の知れないオブジェを「これはうちを守ってくれる」なんて子供達に信じ込ませていることがあった。私の母の実家では、仏壇もあったけれど、家の何処かに白蛇様がいて、それを見た人には良いことが起こるって子ども達に信じ込ませていたよ。人知を超えた存在は、大人もそうだけど、子どもにとってはもっと不可思議で怖い存在でもある。仏様はご先祖様であり、子孫である家人を守る存在だけど、同時に「悪さをしたら仏様が見よって、“コラッ💢”って怒られるよ」なんて言われていたから、父母より、ご先祖様の方がなんとなく怖いというか、怒らせたら本当に怖いお仕置きをされるんじゃないかとビビってたし。

息子が小さい頃も、夫の実家では仏様に「まんまんしゃん」と手を合わせ、家人が手をつける前に必ず仏様にお供えをし、お供え物をいただく時も「まんまんしゃん いただきます」と手を合わせてからいただいていた。さらに夫の実家には廊下の玄関付近には「ガオちゃん」と呼ばれるオブジェがあって、泥棒や悪い人が家の中に入ってこないように怖い顔をしているんだと子ども達には伝えていた。そして、「悪いことしたら仏様やガオちゃんに怒られるよ」常々言っていたし、何度言っても聞き分けがない時に「ガオちゃんにきてもらおうか?」と言うと、あっという間に子ども達がシュンとなって言うことを聞いてくれた。子どもを脅してると批判されるかもしれないけれど、仏様もガオちゃんも子ども達にとって“怖い”だけではなく、自分達を守ってくれる“守り神”の存在でもあるんだよね。そういう意味では姿が見えなかったり、人間の形はしてないけれど、父母と同じ存在なのかな?だから息子は今でも仏様に手を合わせてるし、帰国・渡米する時、さらには受験の当日は出かける前に、そして合格した時も仏様に報告してました。

節分の鬼も確かに怖いけれど、「鬼は人の目には見えない病気とか悪いことを現したものだから怖い顔をしている。豆→魔目(まめ)で、『鬼(病気や悪いこと)は外』って言いながら豆を鬼の目に当てて退散させると福(良いこと)がやってくるんだよ」と息子には話してたなぁ。だから、前述の児童館の豆まきでも、半べそかきながら「鬼は外」と言って、豆だけはしっかり鬼に当てたもの。

そして・・・、仏様やガオちゃんのように、子どもにとって「守り神」であり「怖い存在」である“未知なるもの”の存在は、最後の一線を超えないブレーキにもなっているんじゃないかな?と個人的は思っている。中学・高校生の頃の私や夫は、嘘が親にバレてなくても、悪さをしようと思っていても、心のどこかで「親にはバレてなくても、仏様は知っている(わかっている)から」って考えて、なんとなく一線は越えなかったもの。明らかに小さい頃から、大人に刷り込まれた結果だよね。「親が知らなくても、仏様は全てお見通しだからね」と擦り込んだ大人の思うツボになってしまったのは、むっちゃ悔しいけど、なまはげも然り、トシドンも然り、昔の人は上手いやり方を考えたな、と思う。教育的機能なんて偉そうなことは言わないけれど、ただの虐待や心理的恐怖だけの植え付けとは思えないのよね。親が張り巡らせた情報網でゲットした我が子に関する情報を、「仏様(神様)が教えてくれた」と前置きしてお子さんに伝えるのもアリだと思っていて・・・。

今回のエピソードの頃は、息子にとって仏様やガオちゃんや鬼より、私の方がまだ怖かったみたいで、「今までについた嘘があるなら今ここで全部白状しなさい!」と怒鳴った私に、息子が泣きながら全部お母さんにばれとう・・・」と言ったのにはうっかり笑ってしまいそうになっちゃった。「“嘘をついたり、誤魔化したりするな!”と息子に言うより、“嘘をついたり、誤魔化したとしても必ずバレる”と息子が思うようにしよう」と言ったのは夫。その後もちょくちょくごまかしたり、嘘ついたり・・・。私もアンテナを張っていたので、息子の嘘や誤魔化しを見抜くこともあり、多少のことは目を瞑っても、コレはタチが悪いなというものには、きちんと対応して芽を摘む作業をしてたけど、今でも仏様に手を合わせる息子を見てると、多分息子にもいい具合に擦り込みは成功していると思うんだよね。親の力不足を八百万の神の力で補っているという、なんとも情けないんだけど・・・。必要以上に怖がらせたり、鬼が疫病や災いを“見える化”したものだと説明せず、ただ「怖い」だけの存在にしてしまうのはナシだけど、そうじゃないなら、豆まき・・・、私は肯定派だな(キリッ)。

あと、Grade6の頃に息子がバレバレの嘘をついたことがあって、どんなに辻褄が合わないところを突っ込んでも「僕はうそをついてない」と主張してたんだけど、最後は「ごめんなさい。嘘ついてました😢」ってなった時は、「お父さんお母さんも最後まで◯◯(息子の名前)の味方だから、お父さんやお母さんが“本当のことを話して”と言った時は、誤魔化したりせずにちゃんと本当のことを話してちょうだい。そうじゃないとあなたを守ってあげることができなくなることもあるから」と説諭したことがある。それ以来、「親に言ってないこと」はたくさんあるみたいだけど、「あなた、この前△△って言ってたけど、実は××なんじゃないの?」と突っ込むと「うん、そう」とあっさり認めるようになった。こっちは息子とひと悶着あるのを覚悟して戦闘モードで話を切り出しているのに、こんなにあっさり認められたら拍子抜けしちゃうじゃない!そもそも誤魔化したり、嘘つかなきゃ良いのにね。中学・高校生になると、自分だけの問題じゃない、友人関係等いろんな事情があるんだろうけどさっ。諸事情により、嘘ついたり、誤魔化したり、親に言ってないことも、バレていない嘘もたくさんあるみたいだけど、最後の一線は越えてないようなので、今では息子のことはひとりの人間としてとても信用していますよ。

 

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