【Episode120】8歳1ヶ月 暑い!Sports Day

なんでもポイポイ捨てたり、リサイクルに出してしまう私が、日本の小学校の体操服や赤白帽を取っておいたのは奇跡!と言いたいところだけど、翌年もインターが夏休みになったら日本の小学校に通う気満々だったので、取っておいただけのこと。息子をインターに通わせている間、服を購入する際に、すっごく意識していたのは、いろんな色のTシャツを揃えておくこと。Best friendと同じ色のTシャツを着て登校したり、クラス全員が同じ色のTシャツを着てコンサートのステージに立つ、なんてことが頻繁にあったから。特にSports Dayのチームカラーは毎年、赤・青・黄色の3色だったので、それらのカラーのTシャツは必ずおさえてたんだけど、この年は白チームが追加されて焦ってしまった。白いTシャツって汚れが目立つから買ってなかったのよね。あちゃ〜と思って買いに走ったけど、9月だと売ってないのよ!「肌着でもいいかな?」「これなんかいろんな色が入っているけど、白の割合が1番多いよ」なんて提案したもの、息子は渋い表情。“ほらほら多様性はどこにいった?”とばかりに白の割合が1番多いTシャツを着ることで、かなり強引に息子の了解を得たんだけど、Sports Dayの前日にひらめいた。“そういえば日本の小学校に通っていた時に使っていた体操服は真っ白じゃない。おまけに赤白帽もちゃんととってあるわよ”と。当日は日本の小学校で使った体操服、頭には白地を表にした赤白帽をかぶって、完璧なチーム・白になって参加させることができちゃった。この赤白帽って、海外の方に「Wow!」「Cool!!」なんてお褒めの言葉まで戴いたので、息子もご満悦。真ん中に持ってきたツバを境に赤と白の両方を見せるアレンジ(私が小さい頃はそうやってウルトラマンになりきる男児がゴロゴロいた)まで披露する始末。一時期、ランドセルが海外セレブのファッションアイテムになったことがあったよね?体操服と赤白帽もその後に続け!と思わないでもなかったけれど、どんなに「Wow!」「Cool!!」なんて言われても、その場限りのことだった。セレブではない息子は、世界中に体操服・赤白帽ブームを引き起こす火付け役にはなれなかった。そういえば、海外セレブが背負ったことでランドセルがブームになるより前に、息子が通ったインターではブームになってたんですよ!きっかけは、息子の同級生(ママはアメリカ出身・パパは日本人)が小学1年生にあがるタイミングでインターを辞めて日本の小学校に入学したんだけど、数ヶ月でインターに戻ってきちゃって・・・。それはそれで、ちょっと残念な話なんだけど、本人はランドセルをとても気に入っていたので、そのままインターでも使っていたの。すると、インターが夏休み中に日本の小学校に通っていた他の生徒達も使うようになって、インターなのに、ランドセルを背負った生徒がそこかしこにいるのは、なんとも不思議な光景。確かにランドセルは底が安定しているから、お弁当が傾かないのは良いと思うんだけど、息子はどんなに周りで流行っていてもランドセルを背負って登校するのは拒絶。そもそもインターのテキストは超がつく程重たいし、ランドセルも息子が使っていたリュックより重いので、徒歩andバス通学の息子が拒絶するのも当然。ランドセルを背負ってインターに通う子は車で登下校をしてたから、やっぱりランドセルはセレブ向きなのかもね。そういえば、息子はインター夏休み中に日本の小学校に通う時は、ランドセルを使ってたけど、最初の年は「インターで使っているリュックでいいですよ」と言われた。我が家は翌年以降も通わせようと思ったので、ランドセルを買おうと思ったものの、入学式を過ぎた4月中頃のことだったので、難しいかなぁ・・・、と思ってた。ところが、近所のダイエーに買い物に行ったら、売れ残ったランドセルが破格の値段で転がってたから、即お買い上げ。そのランドセルは小学校卒業まで使いましたよ。ラン活がなかったのはちょっと寂しいような・・・。
ところで、少し前にTwitterのスペースで、息子が4歳から11歳まで通った九州のインターナショナル・スクールの学費を聞かれたので答えたら、学費の安さに皆さん驚かれたんだけど、地元に1校しかないインターナショナル・スクールなので、地元の企業や自治体などの公的な機関からの支援があって学費が抑えられていた思うのよね(気になって調べてみたら、現在の学費は150万円/年くらいです。ただ、息子が都内で通っていたプリスクールとインターナショナル・スクールの学費も当時は月10万程度だったと記憶しています)。学費が抑えられているだけではなく、インターのイベント、特にフェスティバルの時にはラッキーナンバー(くじ引き)の景品や飲食品の提供などでとってもご協力いただいてたし、地元の銀行の方が理事のひとりになっていて、実際にインターの運営にも関わっていたので、経営的にもしっかりしてたんじゃないかな。あと、地元の国際会議場でインターナショナルなイベントがあると、子ども達が花束贈呈や受賞者のエスコート役として呼ばれたり、インター近くの島の海開き・九州場所(相撲)に招待されることもあった。そんな感じで、地元の企業や自治体などの影がチラチラするものの、縛りを感じたことは一度もないし、むしろイベントにお呼ばれして、なかなかできない体験もできたので良かったな。フォーマルスーツを用意するのは痛い出費だったけど・・・。Sports Day終了後に参加賞としてPTAから子供達にお菓子(この年は暑かったのでカキ氷!)が配られていたのも、地元企業のご厚意だった。インターと地元企業や自治体がwin-winの関係で、こういうところは首都圏のインターと大きく違っていたと思う。
だからなのかな?この九州のインターには敷地内に寮もあって、インターの先生が夫婦で住み込みをし、寮生のお世話をしてました。珍しいよね?今流行りのボーディングスクールというより、親の仕事の都合でこのインターにやってきたけど、“高校卒業まであと少しだから”とか次の赴任地の状況によっては、親について行かずにこの地に残るという選択をした生徒のためにある寮で、寮に入っている生徒はごく僅か。息子が九州のインターに通い出して2〜3年後にはニーズがなくなって閉鎖されてしまったけど、こういう仕組みはあって良いよね。
それと、先生のリクルートは校長先生とElementary・Middle・High schoolのHeadを務める先生(全員ネイティブ)方が、自らアメリカ等に行って面接等をしてた。他のインターがどういう先生のリクルートをしているか知らないけど、領事館の関係者のお子さんも多数通っていたので、そこら辺もしっかりしてたのかなぁ・・・、と。